三四会の事業

連合三田会会長挨拶

連合三田会会長就任

菅沼安嬉子(47回 内科)

今年3月より、比企能樹会長の後任として一般財団法人慶應連合三田会会長に就任いたしました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

私は、1990年から三四会理事会に入れていただき、比企能樹先生が三四会長の時、吉野肇一副会長と一緒に2期、副会長を務めさせていただきました。2013年に比企先生が当時の清家篤塾長のたってのご要望で慶應連合三田会会長に就任され、翌年から私も会務委員としてお手伝いすることになりました。会務委員会とは連合三田会の執行部で、その上に議決機関としての理事会、監査機関の評議員会があります。

三四会は昔から連合三田会との交流はあまりなく、毎年秋に日吉で行われる大会に、卒業10年、20年、30年、40年の当番年が救急部会としてお手伝いするのみでした。三田会との交流を深めるべきだと初めに言われたのは吉野副会長でした。しかし連合三田会のほうにも医学部はあまり知られていなくて、教室を借りるのもいい顔はされない扱いでしたが、吉野先生は辛抱強く続けられて、段々と医学部の知名度が上がっていきました。これが比企会長選出の大きな要素になったことは間違いありません。今では秋の大会で医学部の講演やブラックジャックセミナーが人気です。

連合三田会は、日本の社会を動かしている錚々たる方々で溢れています。しかし比企会長は、内視鏡医療の草分けであるとともに、大学時代は体育会端艇部に所属されてオリンピック代表になり、メルボルンオリンピックで準決勝まで進まれたので、体育会も含めて皆、大賛成でした。連合三田会は、881の三田会からなり、会員数は38万人です。比企会長は温厚なお人柄と強いリーダーシップで三田会を束ねられましたが、残念なことに体調を崩され私がバトンを受け取ることになりました。

私は6年間会務委員として比企会長の下で働いてきまして、連合三田会がいかに仲良く強い絆で繋がれているかということや、大きな力で慶應義塾を支え、慶應義塾も連合三田会を非常に大事にしていることを知りました。事あるごとに連合三田会は寄付を募り慶應に貢献しています。慶應病院新病院棟建設もその力でどんなに助かったかしれません。

私は幼稚舎から慶應にお世話になりまして慶應しか知りませんが、私にとっては慶應が唯一の大事な学校でもあります。とても重いお役目ですが、大好きな慶應義塾の為に、比企前会長が作ってくださった道を全力で歩いて行こうと思っております。10代目会長で女性は初となります。応援の程をよろしくお願い申し上げます。